こんにちわ、狛犬と申します!
今回は続編記事です!
前回『世界平和を本気で考えてみた』という記事を書いていて、どうすれば平和を実現・維持出来るのかをシステム化、それを人々が自然と受け入れらる形にするにはどうすればいいか、といったものでした!
しかし、今回はその記事を否定するわけではないんですけど、まだまだ足りないというか、そもそも人間が思い描く『平和』と、地球の『世界平和』が違うといった視点の話です!
結論から言うと、人間の考える平和とは、争いがない、飢えがない、みんな仲良く、みんな幸せという固定された『状態』を平和と考える習性があります!
ですが、地球の世界平和はその固定とは真逆で『循環』していること、巡り流れていく流動的なものが平衡を保つから平和なんですよね!
世界は常に循環しており、地球の平和が乱れたことはないんですが、人間だけが平和じゃないと思っている。
しかし、人間がそう捉えてしまうことさえも、地球全体、世界から見れば自然な流れ。
争うことも、平和を願うことも、同じ過ちを繰り返し、滅びと再生を繰り返していることすらも、世界循環の中の自然現象。
こうなってくると『じゃあ、我々人間は一体何を目指しているのか?』という、一種の虚無感や、絶望感を感じると思います。
ただ、僕が伝えたいのはそういうことではありません!
このブログでは題材は違いますが、ほとんど同じ内容しか書いていません!
それが人間の『間』の話し、バランスの取り方と、その中心に存在している『核』の話なんです!
その構造は、地球の世界平和と同じなんです!
それを知る、思い出して、全人類が気付くことが出来れば、人間の考える平和も、地球の世界平和も噛み合って調和するというのをお伝え出来たらなと思います!
前置きが長くなりましたが、どうぞ!
※あくまでも個人の感想や考察です!あと、こういうのは理解ではなく、体感して欲しいと思っています!それぞれの人生の苦悩や葛藤の中で気付くから意味があると思いますので、その気付きのヒントがあるぐらいの軽い『感覚』でお読みいただければ幸いです!
『構造』を知るために…神社の奧に鏡がある理由!

まず始めに、人体の構造と地球という世界の構造に分けて、お伝えしていきたいと思います!
比較するにあたって『人間には評価基準がある、地球にはそんなものはない』ということを頭に入れておいてほしいです!
人体の作りと世界の作り
まず、人間の体と世界の作りは一緒だということについて!
人体の作りはこうです!
『細胞 → 組織 → 器官 → 個体』
一方、地球という世界もこうです!
『個体 → 生態系 → 地域 → 地球全体(世界)』
こうやって見ると分かりやすいんですが、人間の体も、地球という世界全体の構造も一緒なんですよね!
もっと細かくいくと、細胞にも、身体にも、そして自然界にも『循環』があります!
そして、僕たちの体は『循環』することによって、健康体という『平和』を維持しています!
健康体を維持するのに大事なのは、バランスですよね?
『栄養不足』でも、『栄養過多』でもダメで、しかも、血液が細胞、組織、器官、そして体全体という個体を循環してないと死に至る。
一方、地球という世界も循環することによって、そこに住まう生き物(僕達細胞)にとって最適な気候、健康な状態を維持しています。
だから、人間の体の構造が、地球という世界に似通っているのは当たり前なんです。
それは、地球上で生まれている生物だからですね!
人間と世界ですれ違いが起こる理由
じゃあ、『循環』=『平和』だということが、体の構造で理解出来たとしても、人と世界がすれ違うのはなぜか?
それは、人間には『評価』するという機能が備わっているからです!
自然界には、人間が残酷だと感じる現象が山ほど溢れています!
ライオンがシマウマを食べる、火山が噴火して生態系が壊れるみたいな。
でも地球からしたら、そこに『残酷』という概念は存在してません!
人間だけがその現象を、状態を『残酷』だと評価しているだけです!
実際に僕らの体の中でも、古い細胞は死んで淘汰され、新しい細胞が日々生まれています!
でも、僕ら人間は古い細胞が死ぬことを残酷だとは思わない。
それが、『自然な流れ』と知っているからです。
『自分自身も、常に壊しては作り直している存在』だと理解している。
ここまで分かってても、「世界は残酷だ」と思ってしまっている。
動物の縄張り争い、植物の栄養の取り合い、人間の争い。
世界からしたら細胞が、組織が、器官がちゃんと機能している証拠。
でも、その「自然な流れ」を『世界は平和じゃない』と評価してしまうから、すれ違いが起こっているんですよね!
鏡に映るのは『神』ではなく、自分も含めた世界『森羅万象』
人と世界のすれ違い、人間の平和と地球の世界平和が噛み合うにはどうしたらいいか?
人間が争いを無くそうと、平和を願うことは間違っているのか?
いつかは滅ぶから、それが自然な流れだからとただ受け入れるしかないのか?
そんな疑問にぶつかると思うんですけど、人類が『人間』を知ること、思い出すことが出来れば、全て解決できると思います!
そもそも『すれ違っている』という認識を改める必要があります!
その認識を変える、気付きになるヒントが『神社の奧にある丸い鏡』です!
神式の家とかにもありますよね?
鏡を覗いたときに映し出されるのは神様ではなく、自分とその背に映りこむ世界のはずです!
その丸い鏡は、地球を、世界を外側から見るためのものだと思うんですよね。
そして、自分自身は世界の一部であり、世界も自分の一部であると気付く。
それが出来れば、他者を傷つける行為、争いは自分を傷つける行為だと『体感』出来るはずです!
それと同時に、人間を知る、その奥にある構造を知る、それが世界の構造だと知ってしまう。
そうすれば自然と、人間の平和も、地球の世界平和も噛み合うということです!
イース8と呪術廻戦より『世界は自身の一部』と気付く方法!

続きまして、堅苦しい構造とか人体の説明からではなく、身近で親しみのあるエンタメより『世界は自身の一部』と教えてくれている作品から、お話していきます!
基本的に売れている、人気のある作品には『世界の構造』がしっかりと描かれていたりすると個人的に思っていますが、今回は一番分かりやすいものを2つ抜粋。
それが、『イースⅧ -Lacrimosa of DANA-』というゲームと、『呪術廻戦』という漫画です!
イース8|ダーナの存在と世界の理『ラクリモサ』

このゲームの内容を全部語るのはさすがにキツイので、部分抜粋で説明させてもらいます!
まず始めに、本作のラスボスというか、アドルやダーナが戦うのは世界の理『ラクリモサ』になります!
このラクリモサというのは、システムです。
今ある種が滅ぶことで、別の種が誕生し、世界を進化させるという仕組み。
文明や種がある程度発展し続けると、世界は『涙の日』と言われるラクリモサを発動。
世界は『選択と淘汰』によって更なる進化へ進むといったものです。
その選択で選ばれるのが『進化の護り人』という存在。
滅びゆく種の中から、『最も輝く魂を持つ者』見つけ出し、選ばれた人物は自身の種族が滅ぶのを見届け、その後も世界の進化を見守り続けるという役割を担います。
それが、ダーナの種族の中では彼女、アドルの種族の中では彼になります。
ここまで聞くと、絶対こう思います!
『なんで自分たちが滅ばないといけないのか⁉こんなの間違っている!!』と!
ここでいったん現実的な話しに戻るんですが…
先ほどの説明で『人間自身も、常に壊しては作り直している存在』と話しましたよね?
このラクリモサってリアルに例えると、『自然な流れ』だと思ってしまいませんか?
ただ、ここで絶望させたいわけではありません!
なぜなら、ダーナたちが『大切な人達を守りたい』、『今ある世界を守りたい』と思うこともまた、『自然な流れ』だからです。
これもリアルに例えるなら、『戦争をなくしたい』、『世界を平和にしたい』と人間が考えるのもまた『自然な流れ』です。
で!
実際問題ダーナたちはどうしたかというと、『世界の理の一部になって、そんなシステム変えてしまえ~!』になります!
そして、ダーナは『進化の護り人』になるのではなく、アドルたちに繋げるために、ラクリモサに変化を与え、新たな循環を管理する『女神』に『世界そのもの』になるんですよね!
で!
また現実に戻ってきますが、先ほどの説明で『自分自身は世界の一部であり、世界も自分の一部である』と話しましたよね?
ここです!!
ダーナという少女は、ゲームの中では『女神』という『世界そのもの』になっていますが、現実世界にもしダーナがいたとしたら、鏡の中に映る神、森羅万象の一部だということに気付いただけなんですよね!
自分が神様なら、理に変化を加えて今までの『選択と淘汰』という循環ではない、別の循環を作ることも可能だよねということです!
これが先ほど話した、他者を傷つける行為、争いは自分を傷つける行為だと『体感』出来れば、人間の平和も、地球の世界平和も噛み合うよねというお話でした~!
だいぶ、端折りましたがストーリー全部説明すると、文字数さらにえぐいので詳しく知りたい方は下記の記事へ!
ちなみにこのイース記事は世界平和シリーズの『中編』という位置付けです!
呪術廻戦|東堂葵の『黒閃』レクチャーと九十九・夏油の『人類の進化』議論

続いて『呪術廻戦』!
この漫画には呪術師の中でも、経験している者とそうでない者では、天と地ほどの差が出ると言われている必殺技『黒閃』という技があります!
その技を主人公、虎杖悠仁にレクチャーしてくれる、マイブラザーこと東堂葵というキャラが存在します!
悠仁は東堂にしてもらったアドバイスにより、『黒閃』を放つことが出来るようになるんですが、重要なのがその指摘です!
”呪力”を流す…
『この体を部位で分ける意識が、呪力の遅れを生む』
これが先ほど説明した、人が『残酷』であると評価する意識が、世界と人でズレを起こすということ。
『俺達は腹でモノを考えるか?』
『頭で怒りを発露できるか?』
これも、ライオンがシマウマを食べるのは生命維持における流れ、自然体ということ。
火山が噴火するのも、吐き出さないと発露できないということ。
『いいか虎杖』
(いいか全人類…)
『俺達は全身全霊で世界に存在している』
『当たり前すぎて、皆、忘れてしまったことだ』
ここです!!
これが先ほど説明した、自分は世界の一部であり、世界も自分の一部であるという点です!
で!
またストーリーが進むと今度は、九十九由基と夏油傑というキャラが出てきますが、彼らの議論はそもそも呪霊の生まれない世界を作るということ。
人間から漏出した呪力が澱のように積み重なり、形を成したモノが呪霊です。
じゃあ、どうすればいいのかを考えたときに、全人類に呪力のコントロールを可能にさせる、大雑把にいうと全人類が術師になれば、進化できれば呪いは生まれないというもの。
これが冒頭で話していた、全人類が気付くことが出来れば、人間の考える平和も、地球の世界平和も噛み合って調和するという話しです!
自分も含めた世界、その中で他者を傷つける行為、争いは自分を傷つける行為だと『体感』すること。
そのコントロールが出来れば、『争い』という『呪霊』は生まれない。
人間から漏出した私利私欲、それらが澱のように積み重なり、形を成したモノが『戦争』という名の『呪霊』です。
その『特級呪霊』に対して有効なのが、『黒閃』。
そして、それを放てるヒントが、東堂葵の『黒閃』レクチャーだったんですよね~!
あらゆるジャンルに共通する『構造』と『核』と『間』の話

ここからはあらゆるジャンルの一流が話す、『間』とその『核』についてお伝えしていこうと思います!
ゲームとか漫画とか音楽とか、偉人や経営者、スポーツ選手や宗教など、あらゆる人間が話すこと、創作するモノの中には同じ『核』が見えるんですよね~!
だから、全ての人間は本能的に元々知っているはずなんです。
けれども、忘れていることすら忘れてて、しかも、その忘れたという感覚すらないように映ります。
で!
その『核』っていうのが何なのか、なんですが、一概にこれと言い切ることはできないんです。
それは、それぞれの捉え方が違うからなんですよね。
スポーツ選手なら努力する意味とかの話しですし、経営者なら、ビジネスの始まりは思いやりだ~みたいな話しだし、漫画やゲームの名言、ストーリーや音楽もそうで、基本的に何かの『間』の話なんですよ。
で!
人『間』でしょ?
生まれる時点で、父と母の『間』でしょ?
天秤の上に『希望』と『絶望』両方置いてバランス取ってるでしょ?
地球の構造すらも、そうでしょ?
その『間』のバランスの取り方と、中心の『核』の話なんですよね~
スポーツ選手の場合
スポーツって競技なんで勝ち負けはあるんですけど、多くのスポーツ選手が「努力する意味」を話すときって、競技で勝つ話しをしていないと思うんですよね。
基本的には、自分の限界(絶望)と可能性(希望)の『間』で、どうやって心を腐らせないで、天秤の真ん中に立ち続けるか、そして、そこで止まらないで走り続けること、『循環』させていくことが出来るかどうかというお話です。
経営者の場合
一流の経営者が、「ビジネスは思いやり」と話す理由も、自分の利益(エゴ)と相手の利益(利他)の間でのバランスの話しをします。
お客さんにとっても、取引先にとっても、自分の会社にとっても、それぞれにちゃんとメリットが生まれるようにということです。
『三方良し』
「売り手よし」、「買い手よし」、「世間よし」という『循環』のお話です。
漫画・ゲーム・音楽の場合
ゲームや漫画、音楽がなぜ感動するのか、それも光と闇、生と死、希望と絶望という『間』にある葛藤を美しく描いているからです。
僕が基本的に売れている、人気のある作品には『世界の構造』、その『間』の話しがしっかりと描かれていたりするというのもこの部分です。
ちょっと失礼かもで申し訳ないんですが、逆に、売れていない作品は、この『間』がない、かなり薄いことが多いように感じます。
偉人の場合
例えば、『嫌われる勇気』で有名な、アドラー心理学を作った、アルフレッド・アドラーは『共同体感覚』という、人間が幸せを感じ、天秤の真ん中で生きられる状態を定義しました。
これは、家族や仲間だけでなく、国境を超えて、最終的には『地球や宇宙の全てが自分と繋がっている』と気付く感覚のことだそうです。
哲学の世界では、西田幾多郎という人がいて、彼は希望と絶望、主観と客観の『間(バランス)』に注目し、『純粋経験』や『主客合一』という言葉で論文をまとめています。
現代科学の世界では、ドネラ・メドウズという人が、『世界で起きている出来事(戦争、環境破壊、病気)は、単発で起こっているのではなく、全てが繋がった1つの「構造」によって動いている』と発表しているそうです。
僕もこれ調べながら書いてるんですけど、これだけ過去の偉人たちが言っているのに、それでも世界の人々に広がらないのは、学問・論文・本とかにしてしまっているからなんですよね。
これを世界に広めようと考えたとき(前回記事)に思ったのが、「日本のエンタメ」を使うことだったんですよ~
宗教の場合
宗教家に関しても、神や信仰というフィルターを通して、物事を話します。
でも基本的に一緒です。
これらに共通する“核”があるという感覚。
神話学では…「普遍的モチーフ(キャンベル)」
宗教では…「真理は一つ、表現が違うだけ」
ということを言います!
宗派と信仰が枝分かれしても、根っこにある部分は変わりません。
仏教なら、希望にも絶望にも偏り過ぎない、その真ん中の道『中道』に立ち続けるものを人間と呼びます。
過度な期待や望み、希望(栄養過多)に傾き過ぎれば、それは希望が暴走した『外道』というモンスター。
思考を放棄、抗うことを止める、絶望(栄養不足)に傾き過ぎれば、本能だけで生きる動物に成り下がり、人間ではなくなる。
この『中道』という言葉。
キリスト教では、『ビィア・メディア/真ん中の道』または『王の道』。
イスラム教では、『ワサト/中庸・バランス』。
儒教では、『中庸』。
古代ギリシャ哲学では、『メソテース/中庸』
と言います。
これらもまた、全て『間』の話で言っていることは基本同じです!
オカマの場合
『男の道を逸れるとも…』
『女の道を逸れるとも…』
『踏み外せぬは”人”の道……!!』
『散らばもろとも真の空に…咲かせてみせよう…オォ~カマウェェェイィィ~!!!』
by.ボン・クレー
『かかって来いやぁぁ~~!』
例えオカマであったとしても、全て『間』の話で言っていることは基本同じです!
たぶん!!
感情的で視野が狭まりやすい『人間』に感情で『構造』を教える方法!

前回記事でなぜ『アニメ』というエンタメにしたかというと、理解ではなく感動という『体感』で広めないと、定着しないと思ったからです。
論文を読む、小説を読む、学者の本を読む、人から教わる。
でも、知識だけ教えても、人々の心に残らない。
これは、人間の脳の仕組みでもありますが、『長期記憶』されるものにはストーリー性があったり、感情が動いたときに、強く記憶される傾向があります!
一番分かりやすいのは『トラウマ』です!
恐怖体験っていうのはこれ以上ないほど、激しく感情が動きます。
まあさすがにこれほど強烈なものは無理ですが、今まで話してきた、人間の平和と地球の世界平和を融合させた、『循環・間・構造・核を思い出せば全て解決平和論』を知ってもらう、人々の心に定着させるのに『感情』を使えばいいとなるわけです!
で!
僕の中で一番手っ取り早いのが、漫画とゲームだったんですよね!
僕自身もゲームの名言に救ってもらった過去があります。
FF10の『あきらめが覚悟に変わる』という言葉と、『道がなければ、切り開けばいい』です。
これも『間』の話しで、世界の構造そのものだったんですよね。
『敵を斬るためではない、弱き己を斬るために、己を護るのではない、己の魂を護るために』
『どんな時も”普通”を守りましょう』
『使い方だと思うんだ、ホラ…例えば包丁だってさ、危ないけどよく切れるもの程おいしい料理がつくれるんだ、だから君の力は素晴らしい力だよ!』
『全てに勝る力持つからこそ、それを行使せず、全ての慾を断ち切る使命を負う人間のことだ』
『その間で藻掻き苦しむしかないのでしょうね』
『今ここで限界を超えろ』
『限界だーって感じたら、思い出せ。何のために拳を握るのか。原点(オリジン)ってやつさ!そいつがお前を限界の少し先まで連れてってくれる』
『自分の舵は自分でとる』
『立ち止まるな、歩き続けろ』
『最初から自分ができるものだけ選んでいたら、何も始まらない』
『神様は人の願いがあってこそ存在できるんだよ』
『どんな力もどんな人も、”私の世界”を壊せたことがない』
『道を究めた者が辿り着く場所は、いつも同じだ』
『これは呪いか、それとも罰か…、人類に栄光あれ』
『条件は同じだ、痛みや苦しみに惑わされるな、全員等しい中走ってる。速度計は見るな、普段の自分と比べるな、前だけ見て気持ちに体を預けろ。素直に直感的に、それだけ考えて走ればいい』
『闘え…後悔があろうと悔恨に打たれようと闘え。闘うのだと、抗うのだと、己にそう定めたのであれば全身全霊で闘え。一秒も、一瞬も、刹那も諦めず、見据えた勝利に貪欲に喰らい付け。まだ立てるのならば、まだ指が動くのならば、まだ牙が折れていないのならば。立て!闘え、闘えと・・・!』
『死んで勝つと死んでも勝つは全然違うよ』
『英雄になりたければ夢を持つんだ、そして誇りも…』
『未来は創り出すもんだろ、選んだ道を信じて創り出すもんだ』
『救おう、人間を。大切な仲間なんだろ⁉大切な友なんだろ⁉かけがえのない、大切な人達なんだろ⁉なら、あきらめちゃ駄目だッ!諦めるなッ!希望を捨てるな!抗うぞ!!戦うぞ!!救うぞ‼人間を‼お前の大切な人達を!大丈夫、お前は独りじゃない』
『相手に貸しを作ってしまったら、本当の意味で助けたことにはならないだろう』
『いいことを教えてやろう、人生には無数の選択肢がある。だが正しい選択肢など一つもない。…全部間違いなんですか?違うな。選んだあとで、それを正しいものにしていくんだ。』
『一度の負けで、剣を捨てるか?強さとは何かを模索せい、それこそが剣の道。一切皆苦…!人生とは、どう足掻いても意のままにならぬ、そういう風にできておる。「これもまた一興」と楽しめ』
漫画やゲームの心を揺さぶる、感情に訴えかける名言たちです。
まだまだあります!
そして、僕の中で全てが『同じ』です!
1つ1つの作品という『認識』をしてないんです。
全てが繋がっていて、全部人間の、そして、世界の話なんですよね!
っていうのを感情で教えられた人間が僕なんです!
『授かったものを何のために行使するのか、その”意思”に力は宿るのだ、だから人はそれを”個性”と呼ぶのだろう』
ってヒロアカにも出てきますが、僕もそれに倣い、ブログを通して、世界に返す循環の手伝い、もしくはその一部として今後も活動出来たらなぁ~と思います!
以上!
世界平和を本当の本気の本気で考えると到達した、僕が世界から受け取り、授かったものたちでした~!
まとめ|『世界は待っている、人間が気付くその時まで…』

過去の文明が滅んだ形跡、現代科学で解明できない、過去の遺物。
人類は滅びと再生を繰り返しているのかもしれません。
でも僕の体感では、世界は人間が気付くのを待っているようにも感じます!
世界と人間の平和が噛み合うそのときを、長い『間』ずっと待っている…
今回こそは滅びを回避できるのではないか?
また争い、自滅して滅んでしまった…
その過程を我が子を見守るように、世界は成長するのを待っているんだと個人的に思っています!
ので!
いつの日か、全人類が気付いてくれたらいいなと願い、この記事を終わろうと思います!
以上、ありがとうございました~!



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